名古屋栄ライオンズクラブの歩み – その結成から特色まで –
名古屋栄ライオンズクラブとは?
● このクラブは平成6年(1994年)2月に名古屋中ライオンズクラブのチャーターナイト30周年記念事業の一環として結成されました。当時はバブル崩壊後の不況が深刻化しつつありましたので、もはや名古屋の都心部で本格的なクラブを結成するのは至難の事業でした。
これは1リジョンでは本丸ライオンズクラブ以来実に17年ぶり、1ゾーンでは城北ライオンズクラブ以来19年ぶりのという快挙でした。
● しかも、創立時のメンバー(チャーターメンバー)の総員69名は中ライオンズクラブからの移籍3 4 名、他クラブからの参加8名に加えて新しく27名の新入会員を獲得したものでしたので、新旧バランスもとれて、よい構成となりました。さらにその顔ぶれも錚々たるもので、元リジョンチェアマン、ゾーンチェアマン経験者3名、クラブ会長経験者10名を含むベテラン中堅も充実していました。
● したがって中ライオンズクラブの30歳高齢初出産らしく、少々初々しさには欠けますが、名門の血を継承しつつも“都会的センスのある活きの良さ”を身上とした少しおませなクラブが誕生したのであります。
クラブ結成までの秘められた苦労話
● こんなクラブでもその結成までには大変な苦難の道がありました。そもそも産みの親(スポンサークラブ)である名古屋中ライオンズクラブは1964年(昭和39年)に結成された名門クラブで、当時、すでに地区ガバナー経験者3名を擁するという世界にも稀な人材豊富で強力な存在感のあるクラブでした。しかし唯一の弱点は創立以来30年間一度も新クラブをスポンサーしていないということでしたので、元ガバナーである平子岩吉ライオンは常に“新クラブ創設”を悲願として私ども後輩を叱咤激励されていました。
● ところが中ライオンズクラブは別名“仲良しライオンズクラブ“と言われるほどであまり仲間割れや派閥対立なども起こらず来てしまいましたので、もうチャーターナイト30周年はそのラストチャンスと思われました。そこで平子岩吉元ガバナーが先頭に立ち”“今度こそ”と29年目の会長であった私も推進役となって新クラブ創設を30周年記念事業の一大眼目に位置づけたのですが、クラブメンバーの反応は鈍く、“今頃新クラブなんて”とか“なぜクラブを割ってまで”とか“私は出たくないよ”とか言う声ばかりで、あわや創立失敗かと思われました。
● 加えて、30周年事業として始動すべく私がエクステンション委員長をお願いした小栗(研)ライオンが前年の平成5年5月に急逝され、その涙も乾かぬ6月には柱と頼むキーマン元ガバナー平子ライオンが突如として亡くなられ、私ども推進派は茫然自失でした。ところが世の中は不思議なもので、逆にこのショックが故人の遺志を叶えようという気運をよび、6月18日のお2方の追悼例会で篠田元ガバナー(故人)が追悼の言葉として“クラブ新設のご遺志を必ず実現します“と述べられたのを機に、一気に結成の動きが強まったのであります。
● それからは30周年度の浅井会長がガイディングライオンを買ってでて、野口ライオンをエクステンション委員長に据えて本格的に設立が始動。平子、小栗両キタン先輩の後を継ぐということで私が初代会長予定者となり、強力な影のフィクサーである岡本(純)ライオン、山田(眞)ライオン、竹島ライオンらが栄地区の全メンバーに働きかけを開始し、9月までに3 4 名の転出者―中ライオンズクラブ総員の35%-を確保できるまでとなりました。さらに他クラブから武田元リジョンチェアマンなど有力な8名の賛同参加を得るとともに、結成式までに新規会員25名を獲得し、翌平成6年2月23日にはクレストンホテルで華やかに誇らしく結成式を挙行するに至りました。創立会員総数は実に67名という堂々たる本格的新クラブの旗揚げでした。
● 平成6年4月18日名古屋中ライオンズクラブチャーターナイト30周年大会と同時開催で名古屋栄ライオンズクラブの認証状伝達式(チャーターナイト)が行われ、ここに新生栄ライオンズクラブは盛大な祝福のもとにその活動の第一歩を踏み出したのでありました。初代会長である私がその席上謝辞として、ご来賓への御礼と共に地区役員やスポンサークラブへの感謝の気持ちを込めて、今日までの経緯をお話し、改めて、名門中ライオンズクラブの名誉を汚すことのないように“栄 に新しいライオニズムの灯をともそう”というクラブスローガンを掲げつつ進むことをお誓いでしたのであります。
三つの誕生日、栄ライオンズクラブは女の子
● 既にお気づきの様にライオンズクラブには三つの誕生日があります。栄ライオンズクラブでいえば2月23日の結成式、3月3日の国際協会本部の認証日、そして披露宴にあたる4月18日のチャーターナイト(認証状伝達式)の 3 つです。見方によればどれも誕生日、多くのライオンズクラブはチャーターナイトを周年で祝うことが多いのですが、私ども栄ライオンズクラブはそもそも中ライオンズクラブの30周年記念事業の一環として生まれたので同じ日を誕生日にすると1リジョン1ゾーンの中ライオンズクラブ、北ライオンズクラブ、栄ライオンズクラブがいずれも4月18日に周年が巡って来て不都合なことが多いので、当ライオンズクラブは結成式2月23日を誕生日に定め、その日に周年行事を行っています。
● と同時に国際本部の認証日が3月3日なので多分、栄ライオンズクラブは女の子だろうと“お淑やかに、上品に、美的センスを重んじて”運営をしておりますが、それにとどまらず、なんと当ライオンズクラブは“3”に大変ご縁が深いのです。例えば日本での結成順位が3133番目、当334 A 地区で103番目、オール名古屋でも3の3乗の27番目であり。認証日が3月3日となるとこの“3”という数字の持つ運命を逃れるわけにはいきません。つまり3というのは
① 最も小さい素数で決して割れない。
② 3本足の鼎の安定性は4本足5本足などより最も高い。
③ 角が三つ無ければ決して形とならない。
④ それでいてシンプルながら三千世界、三位一体、三々九度
など奥の深い拡がりの大きい意味を持っているなどの特色をもっています。従って当ライオンズクラブは決して今後も分裂などしないし、格調の高い、安定的な運営・活動を展開し続けるに違いないと信じています。
● 栄ライオンズクラブも結成して11年いよいよ本格的な青年期、活動期に入ります。おそらく20周年、25周年までには新しいライオンズクラブを創設してスポンサークラブになると思います。現在ライオンズクラブにも少子高齢化の波が押し寄せてきていますが、栄ライオンズクラブが次に産むのはどんなライオンズクラブになるのでしょうか?それを想像するのも楽しいものです。
主な行事及びアクティビティ
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6月 |
(名古屋中・栄クラブ会報より) |